愛される名前
「ムハンマド」
イスラームを語る上で、この名前は欠かせない存在の一つだ。
言わずと知れたイスラームという宗教の創始者の名前であり、世界に1億5,000万人以上存在していると言われるほど人気の名前でもある。
何故この「ムハンマド」という名前はこんなにも広く愛されているのか?
彼は一体どういった人物だったのか?
今回のコラムではムハンマドという名前の魅力を、書道作品とともに紹介していく。
激増したムハンマドの歴史:
ムハンマドという名前は、アラビア語で「讃えられる者」「称賛に値する人」と訳される。
今でこそ多くの人口を誇る名前だが、実はイスラーム以前のジャーヒリーヤの時代(5世紀半ばごろ)にはそこまで人気があるわけでは無かった。
これが爆発的に増えたのがジャーヒリーヤ終期、とある宗教の専門家が聖書を研究している際に「近くムハンマドという名の預言者が誕生する」という内容を見つけて発表したことにより、我が子に預言者としての可能性を求め、多くの親がこの名前を選んだことによると言われている。
そんな中、現サウジアラビアのマッカという都市に暮らすアブドゥッラーとアーミナという夫婦の間に、新たな命が宿っていた。幸せな未来を歩むはずだった二人だが、子供の誕生を待たずしてアーミナの元にアブドゥッラーの訃報が届く。
絶望の最中、それでも子供を守ろうと強く決意していたアーミナは、アブドゥッラーの父を頼る。アブドゥッラーの父、アブドゥルムッタリブは当時のマッカを治めるクライシュ族という名門一族の一員で、広い心でアーミナと子供を受け入れた。
じきに生まれるだろうという時、アブドゥルムッタリブの夢の中に天使が現れ、こう告げたという。
「もうすぐ人々から広く讃えられる子供が生まれる」
目を覚ました彼は、これは神からのお告げに違いないと確信し、子供に「讃えられる者」という意味を持つ名前を付けることを決めた。
そして西暦570年ごろ、聖書の記載の通り、のちにイスラームという宗教を啓き、神の言葉を広く伝える預言者となる子供「ムハンマド」が誕生したのである。
愛される「ムハンマド」:
誕生から今日まで預言者ムハンマドは、その名を用いた書道の作品集が出版されている程に広く人々から愛されている。
ここで人々の彼への愛情の深さを表す逸話をいくつか紹介しよう。
EP1:預言者ムハンマドの従兄弟、アリー
ある日、預言者ムハンマドの従兄弟であるアリーが人々にこう尋ねた。
「あなた方はどれほどムハンマド様を愛していますか?」
すると皆が、「自分の子や父母、家族よりも愛しています。」と答える中、
「私は彼のことを、とても喉が渇いている時に飲む水よりも愛しています。」
とアリーはその愛情を堂々と語った。
預言者ムハンマドと従兄弟アリーの名を描いたクーフィー体によるアラビア書道作品。
黒い文字の部分が「ムハンマド」
赤:م
青:ح
橙:م
緑:د
白い文字の部分が「アリー」と書かれている。
緑:ع
青:ل
赤:ي
これを角度を変えて4つ配置した構成になっている非常に技巧的な作品。
EP2:落ち込んだサウバーン
またある日、預言者ムハンマドが町を歩いていると、サウバーンという男に出会った。
しかし彼はどうにも落ち込んだ様子で、見かねた預言者ムハンマドは「一体何がそんなにあなたを苦しめているのですか?」と尋ねた。
サウバーンは「私はあなたに少しの間でも会うことができないと、もう二度とあなたには会えないのかもしれないと感じます。今日も”最後の審判”の後、どうやってあなたとの別れに耐えようかと考えていたのです。たとえ天国に行けたとしても、あなたほどの地位には届きませんから。」
サウバーンは目に涙を浮かべ、さらに続けた。
「ムハンマド様、私がもし天国に行けなければ、この運命は明らかです。いずれにせよ、あなたの近くには行けないでしょう。それが悲しくて仕方がないのです。」
そう言い終わると、サウバーンは口をつぐみ、ただ涙を流した。
これを聞いた預言者ムハンマドは、サウバーンの肩に手を乗せ、こう言った。
「神は全てを見ています。私が愛している、正しい行いをし誠実に生きる人々とは、あの世でも仲間になることができます。」
すると、それまで落ち込んでいたサウバーンは元気を取り戻し、再び神に感謝を捧るのであった。
EP3:捕らえられたザイド・ブン・アッ=ダスィナ
激しい戦争が続いていたある地域で、ザイド・ブン・アッ=ダスィナという男が敵に捕らえられ捕虜となってしまった。
処刑が確定した日、敵の一人が彼に向かって、
「お前をこれから処刑する。しかし、ムハンマドを身代わりにすればお前の命を助けてやると言ったらどうする?」と尋ねた。
ザイドはさも当然と言わんばかりに「私はムハンマド様を誰よりも愛しているんだ。それこそムハンマド様に小さなトゲが刺さるより、自分が死ぬ方がましだと思うくらいにな。」と答えたのだった。
EP4:サアド・ブン・ムアーズ
とりわけ愛情の深かった男、サアド・ブン・ムアーズはこう語ったという。
「アッラーの使徒よ、我々の持つ財産は全てあなたの目の前にあります。どうぞ自由に使ってください。取るも残すも、あなたの好きにしてください。」
「我々は、あなたがどこに行こうとお供します。それがたとえ広い海の真ん中だったとしても。」
「ムハンマド」の文字と愛の象徴であるハートマークを組み合わせたディーワーニ体による作品。
愛される確かな理由
預言者ムハンマドは、前述の通り人々から深く愛されていた。
この理由として考えられるものを、いくつかのポイントを挙げて話していく。
歴史的な背景
預言者ムハンマドが愛された大きな理由を知るには、イスラーム以前のジャーヒリーヤ(無明時代)がどのような時代だったのかを知ることが手掛かりとなる。
この時代のアラビア半島では、遊牧民的生活様式が至上であると考えられていた。国家などの支配には服さず、自立的な血縁集団の枠組みの中で生きるのを理想とするものである。
また宗教的には、巨木や岩に神性を認めるアニミズム系の多神教の世界でもあった。
一見自由で、理想的なものに見えるかもしれないが実態はそうではなく、近隣の部族の間に平和を守るルールが存在しないため部族間の争いが絶えず、「多神を信じ、唯一神アッラーを信じていなかったため、ひとり残らず地獄に落ちている暗黒の時代」とも称されるほど混沌とした時代であったとされている。
その中で預言者ムハンマドがアッラーからの啓示を受け、神の存在を広く知らしめその光明をもたらしたことで、蛮行に怯える多くの人々が救われたのだ。
心遣いの大切さと人格の追求
ムスリムには5つの信仰義務が課せられている。
これは五行といわれるもので「信仰告白」「礼拝」「ザカート(定めの施し)」「ラマダーン月の断食」「巡礼」を指す。その他、日常生活/社会生活でも様々な取り決めがある。
しかしルールが与えられている中では、形だけになってしまうものが一定数現れてしまうものだ。その中で預言者ムハンマドは一人一人の真剣な心遣いを強調し、形だけでは役に立たず大切なのは心であり、重要なのはその行為の動機・意図・目的の純粋性と説いたのである。
また、彼は必ず言行一致であった。神の言葉を預かる「預言者」という立場に背かぬよう自分の行為については注意深く、単に教えを垂れるだけでなく実行に移していた。これにより預言者ムハンマドは、ムスリムが行動の改善あるいは義務の遂行に当たろうとする際の規範となったのである。
日常の中でも正しく生き続けた預言者を、人々は人格と徳性のモデルとした。クルアーンには彼を「本当にアッラーの使徒(ムハンマド)は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。」(33-21)と表現しており、クルアーンに示されるところが曖昧な場合、人々は預言者の行動の中に正解を求めた。
預言者ムハンマドは、啓示を受けてから亡くなるまでの23年間を全身全霊をあげて人々の救済に捧げ、苦労の成果を全て人類に与え、自分自身は何物も望まない心境に達した。
彼の人格は人間として到達可能な最高の人格の模範となり、今でも多くの人々に愛され、尊敬されている。
世界への影響
アメリカの歴史学者マイケル・ハートが1978年に出版した「The100:歴史上最も影響力のある人物ランキング」では、イエス・キリストやニュートンをおさえ1位に記録されている。
この本は主に社会的な影響力や歴史の流れから世界に貢献した人物を扱っており、このことからも預言者ムハンマドが世界に大きな影響を与えた人物であったと言える。
では具体的に、彼が平等・公正さを理想として実現していった社会的な改革を挙げてみよう。
・同害報復法の改革
同害報復を手段として秩序を維持しようとする中で、一人の命の代価はその社会的身分の上下に関わらず、等しいものとした。
さらに「こころよく相手を赦し、和解する」(クルアーン第42章38~40節)寛大さを勧めた。
・高利貸しの禁止と新市場の開設
イスラームの教えに従い、貧富の格差を是正するために高利貸しを違法とした。
さらに当時カイヌカーウという一族が利権を支配していた市場に代わるものとして、取引に全く税をかけず、金品の貸借に利子をつけない独自の市場を開設した。
・ザカート(喜捨)の制度化
先の五行で記した「ザカート」の本来の意味は「浄化」である。
ムハンマドはこれを制度化することによって、形式的な慈善で終るものではなく、自己の魂の浄化にかかわる日常の行であることを示した。
・女性の権利
従来女性には与えられていなかった権利を具体的に保障することで、全ての人間に平等性、独立性を与えた。その権利には自分の財産の所有権、夫からの遺産相続権、妻の方から夫に離婚を申し出る権利、妻の結納金に対する権利などが含まれている。
・奴隷の地位の改革
冷遇されていた立場の奴隷を「アーダムを同じ父祖とする兄弟」と位置づけ、人間らしく待遇するよう奨励した。イスラームにおける奴隷は、階級と地位をもつ世界の歴史の中でも無類の存在であったとされる。
人々の中に生き続ける「ムハンマド」
宗教的にも社会的にも世界に大きな影響を与えたムハンマド。
誕生から1400年以上の時が経っても、今なおこの名前が愛されるには必然的な理由があった。
ムスリムだけでなく、世界中の人間が自分の子に彼のように正しく、利己的でなく人のために行動することが出来るようにという願いを込めてこの名前を選んでいるのだろう。
最後に、愛される名前「ムハンマド」を用いた書道作品をいくつか紹介しつつ、このコラムを締めくくりたい。
1-
スルス体による作品。
全体的に丸いフォルムで、様々な作品に用いられている。
長年研究されている書体である。
下の画像は、作品のバランスを計るためのガイドを表示したもの
2-
スルス体による作品だが、上記とは違う組み合わせで作成されている。
アラビア文字は本来文字と文字をつなぐ際に形が変化するが、この作品はそれぞれ独立した文字を用いて書かれている。
3-
ディーワーニージャリ体による作品。
حを大きく書き、他の文字を中に入れている。
4-
ナスフタリク体による作品。
イランで作られた書体で、ペルシア語でよく用いられるコンパクトな書体。
5-
「ムハンマド」をディーワーニー体、「アッラーの使徒」をナスフタリク体で書いている作品。
二つの書体を組み合わせている非常に高度な技術を用いて「ムハンマド様はアッラーの使徒である」と書かれている。
6-
スルス体による作品。
上に「アッラーの祝福と平安がありますように」、下に「ムハンマド」をあしらった作品。
上の文はムスリムが預言者ムハンマドを呼ぶときに使う言葉で、非常に大切な言葉である。
7-
ナスフタリク体による作品。
これもحの中に他の文字を入れる手法が用いられている。
8-
ディーワーニー体
最後の文字を丸くしている。
これもアラビア書道でよく使われる手法である。
9-
ナスフ体による作品。
新聞などに用いられている書体で、シンプルかつ読みやすいのが特徴